電車を待つ女性

前回から、「算数とはどんな科目なの?」
というテーマでコラムを進めています。
そこで、僕は「算数とは、情報の本質を捉える力の礎」
と定義づけました。
しかも、その能力は社会に出た後にこそ、
驚くべき力を発揮するということもお伝えしました。
その定義を論じる上で算数の特徴として、
下記の3つの定義を挙げたところで筆を置いています。

一、算数では数を用いつつも、数に囚われない。
一、算数では文章を様々な角度で捉える。
一、算数では幾何を様々な形で応用する。

今回は、この一つ目についてお話しします。

「算数は数を用いつつも、数に囚われない」

算数では初歩的な計算として足し算、引き算、掛け算、割り算、
を学びます。
国民のほぼ全員がある一定水準でこれができるということは
非常に素晴らしいことなのですが、
これは共通して計算力という便利な力を教育される
素晴らしさであり、算数の意義と離れるので割愛します
(いずれ「教育の意義」をお話する際に触れると思います)。

本当に素晴らしいことは、算数では『数』という
世界共通の新しい言語を学習し、
それを用いて様々な角度で情報を検証できるということです。

例えば。

あるコップが置いてあります。
そして同じものが隣にあります。

という事実があります。
これ、通常は「コップが2つある」と表現します。
同じもの(または同じグループでくくったもの)が複数ある場合、
『数』という記号を使って表せる。
実はこの時点で既に「情報を違う形で表現する(記号で可視化する)」
という情報の吟味が無意識の中で行われています。

今では当たり前となりましたが、
数の発見はどれほど革命的なものであったか
伺いしれるところでしょう。
折角、算数を学ぶ(もしくは教える)ならば、
この様な先人たちの素晴らしい努力と発明を考えながら
算数に触れていければ、より面白くなるのではないでしょうか。
こう考えると、そもそも「数値化」というごく自然に
我々が行っていることは、本当はもの凄いことなんですね。

先ほどの例は単純に「事実」を記号化したという例ですが、
こちらはどうでしょうか。

小学校では小数・分数を学びます。
そう。整数の間にある数のことです。
自然数(自然に存在する数えるのに使う数)だけを扱っていた当時、
0と1の間に数があると知ったことは衝撃的でした。

しかも、0と1の間や1と2の間って、
普通に考えるととても些細な差の様に思えるんですが、
これが大きな溝がある。
だって、0と1の間には「無限に数が存在する」んです。
整数は言ってしまえば「特急電車」だったんです。
0から必ず1ずつ等しい間隔の駅しか止まらない。
その間の駅は全て無視です(笑)小数や分数を使えば、
その間に無限に駅が作れるわけです。
どこにでも作れる「各停の駅」ですね。

例えば

0と1のちょっと行ったところに0.1がある。
そしてそれよりももうちょっと行ったところに0.11があって、
それよりもホンの少しちょっと行ったところに0.111がある・・・
と無限に続いていきますね。
もう0と1の間なんてもう宇宙です。
表しきれなくて恐ろしい(笑)

ここから本題。
これがどう、僕の話に繋がるのか。
次の計算をしてみて下さい。

1÷3 = □

あ、分数は使わないで下さいね。敢えて小数で。

答えは0.333333333333333…ですね。
電卓に入れてみても、数字は途中までしか表示されません。
これ、表しきれないですよね。
じゃあ、0.33333333…cmって見える形で表してみて?
と言われたらどうしますか?
ちょっと考えてみて下さい。

はい。
正解は「1cmの紙を奇麗に3つに折る」です。
これなら0.3333…cmが目で見えるはずです。

こういうトンチみたいな問題も、問題として十分面白いんですが、
僕はこのプロセスに算数の凄さが隠れている気がします。
つまり、0.3333…cmという非常に抽象的で理解が難しいものに対し

「他のアプローチで本質を掴む」

という離れ業を小学生にしてやってのけているわけです。
数を学びながら、敢えて数に囚われない。
あくまでツールの一つとして捉え、
必要とあらばそれを手放して考える。
算数はこういった力が楽しみながら身に付くトレーニングとしては
うってつけと言えます。

これこそまさに「情報を吟味して本質を捉える」
という社会人に必要な能力を養っていると思いませんか。
何度も申し上げますが、学ぶ方も教える方も、
こういう部分に意識して学習できれば、
より効果的で楽しい学習ができるはずなんです。

あまり語りだすとキリが無くなってしまいますので今日はこの辺で。
お子様の学習に何らかの一助となれば幸いです。

それでは良い1日を!

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