Posts tagged "どうして勉強するの?"
教育について考える(14)| インストラクターと先生

教育について考える(14)| インストラクターと先生

作家の鈴木光司氏は 『子どもに「なぜ勉強をしなければいけないの?」 と訊かれたら、親は「社会をよりよくするためだ」と自信をもって 答えなければいけません」』と語っています。(*1) 全く同感です。 人間が社会的動物である [...]
教育について考える(13)| 学ぶことと人生

教育について考える(13)| 学ぶことと人生

子どもの頃から、人間は何のために「学び続ける」のかを問い続けてきました。 「大学入試や就職試験のため」などでは終わらない 「学び続ける」ことの意味です。 仏教の修行になぞらえて考えてみましたが、 結局のところ「学び続ける [...]
教育について考える(10)| 知の動的平衡

教育について考える(10)| 知の動的平衡

生物学者である福岡伸一氏は、生体を構成している分子が高速で分解され、 摂取した分子と置き換わる状態を「動的平衡」という言葉で表現しました。 つまり「更新」されつつ、それでいて「一定の状態」を保つ「流れ」のような 生命の在 [...]
教育について考える(9)| 実践性の回復 道元 その2

教育について考える(9)| 実践性の回復 道元 その2

道元は日常の全てが修行だとしますが、 中でも坐禅を最高の修行として、ただひたすら坐禅することを説きます。(*1) そして、修行の結果として悟り(証)に達するのでは無く、 修行(坐禅)そのものが悟りであると考えたのです。( [...]
教育について考える(7)| 実践性の回復 親鸞

教育について考える(7)| 実践性の回復 親鸞

鎌倉時代、「念仏」を唱えれば 極楽浄土に生まれ変わることができるとしたのは 法然・親鸞・一遍です(*1)が、今回は親鸞(しんらん)に注目します。 親鸞の師である法然は「ただひたすら念仏を唱える(*2)だけで 極楽浄土に行 [...]
教育について考える(6)| 仏教の展開と現代の学び

教育について考える(6)| 仏教の展開と現代の学び

お釈迦様の時代の仏教は、 一部の出家修行者が厳しい修行を経た後に悟りを開くというものでした。 その後、大乗仏教の登場により、 より多くの人に悟りの可能性が生まれました。 仏教が日本に入ってきた後 「悟りを開くための能力に [...]
教育について考える(5)| 仏教の展開から考える

教育について考える(5)| 仏教の展開から考える

学び続ける理由を考えるために、 インドや日本の仏教の展開を概観してみたいと思います。 少し回り道をしますがお付き合い下さい。 元々のお釈迦様の時代の仏教は 「少数の出家修行者が厳しい修行を経て悟りを開く(*1)」 もので [...]
教育について考える(4)| 学び続ける理由

教育について考える(4)| 学び続ける理由

教育という行為を学ぶ側の立場から考えてみましょう。 子どもだけでなく、大人にとっても、 とても重要だけども答えるのが大変難しいのが 「何のために勉強するのか」という問ではないでしょうか。 私も小学生の頃から、この問に対す [...]
教育について考える(1)| 木を植える

教育について考える(1)| 木を植える

国有林を管理する仕事(*1)をしていた父親は、 「ものごとの道理」を、森・山・木などに関連させて 教えてくれたものです。 子どもの頃に聞いた話で強く心に残っているのは 「後人のために木を植える」という話です。 国有林の場 [...]
理科という科目の重要性(5)

理科という科目の重要性(5)

理科の話を進める上で「論理」の話がでてきました。 今回は論理について少しお話したいと思います。 最近では「ロジカルシンキング(論理的思考)」 なんてのもよく聞きますね。 では、「論理」とはそもそも何かから見ていきましょう [...]
理科という科目の重要性(3)

理科という科目の重要性(3)

理科という科目で何を学べるのかというテーマで、 前回からお送りしています。 さて、前回は物理の落下距離の話を例に出して、 算数・数学と理科の違いを説明しました。 そこで「理科では何を学べばよいのか?」 という問いを立てて [...]
理科という科目の重要性(2)

理科という科目の重要性(2)

理科という科目で何を学べるのかというテーマで、 前回からお送りしています。 前回はちょっと含みを持たせた 「引き」(続くこと)にしてしまったので、 ハードルが少々上がってしまったと後悔しています。 算数・数学と理科との決 [...]