木を植える

学校では実に多くの科目を学びます。
その中には好き・得意な科目だけでは無く、
嫌い・興味が沸かない・苦手なものもあるでしょう。
学習する側に立てば「何でこんなモノを学ばなければならないの?」
と文句の一つも言いたくなるものです。
私も長い学校生活の中でそう感じたことは多々ありました(笑)

ですから、学校制度による「強制」が無くなれば、
おそらく多くの人は嫌いな科目など勉強しなくなるでしょう。
そもそも嫌いな科目も含めて学習することに
どんなメリットがあるでしょうか。
学力とそのバランスが良くなる、忍耐力が付く
などもあるでしょうが、
今回は「未来のことはわからない」という観点で考えます。

恐らく、社会人の中で
「まさかこんな職業に就くとは思っていなかった」
と感じている方は少なくないと思います。

私の場合も、日本史を職業にするなど想像もしていませんでした。
中学時代は数学が得意でしたし、
歴史に関心を寄せるようになったのは
高校の修学旅行先の京都で巨大寺院を見てからです。

仮にそこから「旧石器時代とは。」などと学び始めたら、
大変なことになっていたと思います(笑)
(そもそもその巨大建造物の意味がわからず
感動できなかったかも知れませんが。)

また、歴史以外のことも重要です。
黒板に板書しながら話す職業柄、
中学生まで習字を続けていて良かったと思います。
音楽の時間、真面目に「発声」の練習をしていて
良かったと思います。
ただし、その時は「これはきっと将来役に立つだろう」
などと思ってやっていた訳ではありません。

だから「こんなもの何の役に立つんだ?」と思いつつも
「やらない」のではなく、
「取りあえずやっておく」ことの方が
後々良かったと思えることの方が多いのです。

子どもの頃は「未来の全体像」など見えません。
(逆に全てお見通しの人生はつまらないでしょう。)
嫌いな科目も含めて学習することは
見えない未来の可能性を広げることにもなると言えるでしょう。

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