戦いに負けて怒る男性

歴史を「ざっくり」と「分かり易く」を
コンセプトにお送りしてます。
遂に戦国時代までやって参りました。

室町時代は足利家を中心とした
「混沌」と「ルーキーの台頭」とお話ししました。
その「混沌」は将軍の家督争い(応仁の乱)の後、
更に激しさを増します。
力自慢の武士の棟梁である「戦国大名」たちが
国中にひしめきあうわけです。

「史観フラグ」でもお話しましたが、
武士が複数いるとどうなるでしょうか?

そう。
力比べを始めるんです。
「剣」でしか分かり合えない武士(もののふ)の精神です。

「武士の複数形=戦争」
これは一つの方向性として覚えておいて下さい。

ということで、全日本武士選手権大会
(ぜんにほんもののふせんしゅけんたいかい)が始まるわけです。
武田信玄や上杉謙信なんて有名な武将がいた時代です。

さて、この全国選手権。
誰が制覇をしたのか。
かの有名な織田信長選手が率いる尾張部隊が
準決勝くらいまで勝ち上がります。
すると、明智光秀選手がまさかの謀反。
サクッとやられてしまいます。

チーム内のゴタゴタをまとめた織田氏の部下の豊臣秀吉選手。
そのままキャプテンを引き継ぎ見事優勝。
一つ目の選手権を制します。
以降、しばらくは豊臣軍勢が天下をとります。

豊臣氏、土地を図って年貢を取り決めたり、
農民から刀を奪って権力を盤石にしたり、政治に勤しみます。
彼は農民から成り上がったといわれているので、
農民に対する脅威は誰よりも感じていたのかもしれません。

さて、非常に盤石な体制に見える豊臣政権ですが、
やはり世は諸行無常、盛者必衰。
おごれる者も久しくはありません。
豊臣氏、戦国大名特有の血の気の多さが発揮され、
日本の支配だけでは足りず朝鮮に出兵します(文禄・慶長の役)。

結末は、ご存知の通り。明治以降に至るまでは、
日本と海外(朝鮮とモンゴルくらいですが)の戦争は
「最終的に領土の増減はありません」。
そう。今回もその例にもれず失敗します。

ここで新しい史観を。
戦争に失敗すると(領土が増えない骨折り損の戦いという意味です)為政者は間違いなく嫌われます。
まぁそりゃそうです。
命を懸けて戦ったのに何も貰えない。
それどころか戦争の出費で自分たちの家計にも
散々な悪影響を与えられるわけです。

ここで武将の不満を束ね、
次の政権奪取に名乗りを上げるのが次の時代のヒーロー。
徳川家康です。
徳川家康になぜそんなに力があったのか。
皮肉にも、国内最大級の経済力があったにも関わらず、
朝鮮出兵の際は、九州で待機していただけで済んだのです。
他の大名の力が出兵で削がれた際に、
殆ど無傷で生き残ったのが徳川家康です。

その後、彼は他の大名の面倒を見たりと経済的に根回しを進めます。
秀吉の死後、満を持して「関ヶ原の合戦」へと出向くのです。

戦国時代(安土桃山時代)をさらっとおさらいしました。
本日はここで幕引きです。

下記が出てたら「戦国・安土桃山時代」っぽいと思って下さい。
(1)下克上
(2)織田信長・豊臣秀吉・北条早雲・上杉謙信・武田信玄
(3)本能寺の変・長篠の戦い・桶狭間の戦い

次の時代は江戸時代ですね。

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