先生と生徒

内田樹氏が、「学校というところは、
すべての制度的虚飾を削ぎ落とせば、
「知」に対する欲望を持つ者(=教師)の欲望が、
「知」に対する欲望をもつ者(=学生)の欲望の対象となる、という
「欲望の欲望」構造に帰着する。」と書いています。(*1)
人間の欲望の対象はモノやヒトではなく、「他者の欲望」だからです。(*2)

なるほど、他人が面白そうなことをしていると、
自分もしたくなるということはありますよね。

私の経験でそれが最も顕著だったのは、予備校時代の英語のO先生。
この方の講義は予備校講師にありがちな
「私は受験英語のことは全て知っています、1年間かけてお話しますから、
しっかり聴いて下さい」というのとは
対極にある個性的なものでした。

「教える」というよりは、自分が分かったことを「つぶやき」、
日々「知」を追い求めている姿を受験生の前に「晒している」
という講義でした。

「 a はそれぞれ勝手なイメージを形成させる冠詞、the は
お互いに分かっているモノにつける冠詞、
ちょっと黒板見てくれる?
今、見たよね。だから the blackboard、」
という感じでつぶやき続け、いつも何かを読み、考え、
ネイティブの講師に「こんな言い方します?」などと廊下で質問を浴びせ、
授業中に「大学生か、いいねえ・・・仕事なんかやめて
じっくり勉強したいよね・・・。」
と言ってみたりするのです。

実は、彼は1980年代に500人収容の教室を満席にし、
廊下には次の授業に出る生徒が長蛇の列をなすという人気講師だったのですが、
人気とか給料とかについて「全く関心が無い」かのようでした(笑)

その授業を最前列で受講していた私は
90分の授業が面白くてたまりませんでした。
そして授業が終わるチャイムを聞く度に
「あ~あ、また授業終わっちゃったよ~、早く来週にならないかなあ・・・。」
と思い、「早く、自分も大学に行って勉強して~な~」と憧れ続けていました。

実は教師がひたすら「知」を求め続け、
その姿を生徒に見せつけるだけで教育というものは
成立するものなのかも知れませんね

(*1)
内田樹『「おじさん」的思考』晶文社(2002年)

(*2)
ヘーゲル、コジェーヴ、ラカンなどの哲学者がテーマとしています。

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”