まな板の上の野菜

私の方も生意気だったかも知れません。
しかし、教育実習日誌に書いたのは
実習に全く関係の無いことでもなければ、
ふざけたことでもありません。
それにも関わらず、教頭先生のような対応をした場合、
一体、何が起こるでしょうか。

今回の対応は、「何が悪いのかを具体的に示さず」、
指導教諭では無く「教頭先生が」、
ただ「やめるように」と「示唆」したというものです。

何が悪いのか示されて納得できれば、それを修正するでしょう。
また、納得できない指摘であれば、直接指導者に説明を求めます。

ところが、今回の示唆は、
普段コミュニケーションをとっていない教頭からなされたのです。
直接指導を受ける手続きが想定されていない、
より大きな権力を持った人間が、
やめるよう「示唆」だけしたらどうなるでしょう。
いわゆる「天の声」のように機能し、その下にいる人間は、
それを「おもんぱかって」自らの行動を
「自主規制」することになるでしょう。

そして、このようなことが継続されれば、やがて、
「自分の頭で思考や判断をせずに、ただただ、
校長や教頭の顔色ばかり伺う教師が生まれる」
ことになるのではないでしょうか。

当時は上記のようにきちんと分析できた訳ではありませんが、
漠然と「おかしい」と感じて頭に血が上ったのだと思います。
どう対処すべきか考えが整理できる前に、
実習期間が終わってしまいました。

体罰問題を含め、当時の付属中学校の在り方に
疑問を持つ学生は私だけではありませんでした。
最後の反省会の時には、体罰問題に対する
校長先生の見解を求める声が何人かの学生から上がったのです。

学校側はそれを無視し、会を終了させてしまったので
紛糾したと記憶しています。
これが付属学校における実習の在り方として妥当なのでしょうか。

体罰問題にしても、実習生が教師になった時に
対処せねばならない課題の一つです。
「実習や研究の俎上に載せれば良いではないか」と、
今でも考えています。
(つづく)

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”