本棚の前の女の子

前回は方法的懐疑により、
様々な論拠の論理性を検証することについて述べました。
検証するためには、知識を学ぶのと並行して、
「論理性=考え方」を身につけねばなりません。

そのための方法の一つは誰かに「弟子入り」することです。
大学であれば実際にいずれかの教授に
弟子入りすることになりますが、
何もリアルな弟子入りだけを考える必要はありません。
読書を通じてたくさんの論者の論に触れ、
「この人の言っていることは納得できるなあ」
と思える人物を見つけ、その人の本を大量に読むのです。
バーチャルな弟子入りということになるでしょう。
最近では「メンター(優れた指導者、助言者、相談相手)」
を見つけるという言い方が使われます。
そして「知識」よりむしろ「考え方」に着目するのです。

かつてはマルクス主義というものが、
多くの知識人にとってのメンターの役割を果たしていたでしょう。
「マルクス主義的な考え方」が様々なジャンルに適用されました。
小林秀雄、吉本隆明、サルトルなども大きな影響力を持ちながら、
広範な思想活動を展開しました。
私の少し上の世代の先輩は、何か課題が浮上した時
「こんな時、サルトルだったら何と言うだろう」
と彼の言説に注目したそうです。

ただし、誰かを師事して、
その論をそのまま鸚鵡返しするだけでは不十分です。
「知の巨人」にも批判者が現れます。
その際にメンターの論理と批判者の論理を比較し、
自分自身で妥当な方を選択していくのです。
もしかしたら、部分的に批判者の側を
妥当だとすることになるかも知れません。
時にはメンターそのものを乗り換えることになるかも知れません。
しかし、それは「師を乗り越える」ということであり、
より高いレベルの学びに到達したことを意味しているでしょう。

師匠を乗り換える時、バーチャルな弟子入りの場合、
面倒な人間関係はありません。
そっと師匠の書籍を本棚のセンターポジションから
脇に置き換えるだけですから(笑)

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