手をあげる生徒たち

英語に対する疑問は高校時代も続いていましたが、
当時の言語力が稚拙だったこともあり、
自分の中の疑問をきちんと伝えられず、
先生から見れば「ふざけている」ように見えたかも知れません。

「通学する=go to schoolの場合、theをつけてはいけません」
と言われ、
「仮にtheをつけた場合、
ネイティブはどのような印象を受けるのですか?」
などと聞けば良いものを、
「つけたらどうなる?」と聞き返しました。

英文を「前に戻って訳す」と言われて、
「訳してきちんとした日本文にする時には前に戻るとしても、
意味を取っていく時には前から順番に単語の意味を
連想すれば良いのですよね?」と確認すれば良いものを、
「それじゃあ、ヒアリングはできないし、
電光掲示板読めないじゃないか・・・。」
と突っ込んだりしました。

「atは狭い場所を表し、inは広い場所を表します」
などと言われると
「それは客観的な広さでは無く、
話者のイメージの問題ですか?」と聞けば良いものを(*1)
「境目の面積は?」などと聞く始末です。

本当に恥ずかしい限りです。

1つの英単語にたくさんの意味があることを知った時や、
現在完了形に「継続・完了・結果・経験」の
4つの意味があると説明された時(*2)の、
「アメリカ人は言葉を聞いて『リスト』が頭に浮かび、
その中から一々選択して意味を取っているのか?」
という疑問も、
「ネイティブが聞いた時に受ける
共通のイメージはどのような物なのですか?」
などという質問にまとめ上げれば良かったのですが、
当時はそれができませんでした。

結局、授業中の先生とのやり取りも
取り留めの無い物になりがちでした。

ある日、いつものように先生に食い下がっていた時、
友達の女子生徒が「浩君、いい加減にして!」
と声を上げました。
どうでもいいことで授業を遅らせないでほしいという、
真っ当な主張でした。

そんなこともあり、段々、
この類の疑問に持つ自分の方がおかしいのでは無いかと
思うようになっていきました。
(続く)

(*1)
atとinの問題については、当時は本当に困惑していました。
本気で「どこに境目があるのだ」と思っていたように思います。

(*2)
現在完了形が「過去のことを話しつつ現在のことに言及している」
という共通性を見出したのは高校を卒業してからでした。

 

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