数式に悩む生徒

過度に疑問を持つ性向が、高校での勉強を難しくしていきました。
高校生になると、数学まで壁に当たり出します。
三角比・ベクトル・微分・積分はまだしも(*1)、
数列、対数、行列など、一体どんな必要性があって
このような概念が生まれたのかなどと考え出して、
やるべきことを中断してしまったのです。

勿論、今考えると自分が反省すべき点は相当あります。
中学時代の数学は授業中に理解できたので、
暗記するもののある社会科などと違って、
試験前の勉強をせずに済ませていました。
また、高校での最初の業者テストで100点だったこと(*2)などから、
高校でも中学の時のように行くだろうと
すっかり「なめて」かかっていたのです。

おそらく、それぞれの概念における定義などをきちんと覚え、
計算方法などを身につけ、
必要な作業を地道に継続し「積み上げ」ていく中で、
必要性なども実感できたのかも知れません。
あるいは、答えが出ることの喜びをモチベーションに
勉強を継続できたかも知れません。
最初の地道な作業をすっ飛ばして
いきなり全体像を把握しようとしたことが失敗でした。

例えば、山を登り続け、ある程度高い所まで行けば、
素晴らしい眺めが見えるでしょう。
しかし、当時の私は、最初にどういう景色が見えるのか
納得できなければ山に登るのを拒否したようなものです。

タイムマシンで10代の自分に会いに行けるなら、
お説教したいことは山ほどあります。
もっとも、未来から来たおじさんの言うことを
素直に聞けたかどうかわかりませんが(笑)

ある時、理解できない論理展開や公式について、
現役で国立大学に合格するような優秀な友達に
「これ、納得できる?」
と質問したことがありました。

その時の
「いいから公式を覚えて答えを出せばいいんだよ」
という回答に、
「なるほど、彼ほどできる生徒でも、
とりあえず『覚えて』しまって答えを出しているのか」
と知り(*3)、数学が、
何となくつまらないものになっていきました。
(続く)

(※1)
物理の世界での必要性などの解説があったと記憶していますが、
何となくそれは実感できました。

(※2)
今考えると最初のテストは中学の復習でしたから、
高校数学の力では無かったのです。

(※3)
今考えると、全体像が見えなくてもまずは作業を継続するという、
彼の姿勢はある意味では正しいと思っています。

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