前に、こんな話を聞いたことがあります。

完全に無菌で、全く汚れていない水を飲むと
それはむしろ、人体にとって
「毒」になる、と。

今の世の中は、
そんな感じのような気がします。

ここ3年で数回、出張で香港に行きました。

香港は、良い意味で雑多な街で、
いろんな人がいて、
いろんな行動様式があって、
近代的なビルがかなり多いですが
それを全部「竹」の足組で建設するし、
道を歩いていたら、よくわからない水が
ぽたぽた垂れてくるし、
動く歩道の速度は速いし、
よくわからないロレックス的なものを
売ってくるお兄ちゃんがいるし、
ホテルの中なのに変な人がいるし、
もう、雑多で雑多で、
滞在して本当に楽しい街です。

あの国にいると、元気になります。

日本の良さを改めて認識もするし。

香港に限らず、
割と多くの国を巡りました。

あまり観光地として「よし!行こう!」と
なりにくい国を挙げれば、

カンボジア、ウズベキスタン、
チェコ、エストニア、ラトビア、
など・・・。

メジャーどころの国を入れて、
おおよそ 25ヶ国ほど巡っています。

海外に行って思うのでは、

「日本って、良いところの多い国だなあ。」

と、ほぼ確実に思えることです。

外から中をみて、その良さを実感できます。

一方、ちょっとピュア過ぎるのでは?
と思うのです。

ひとつの固定概念に縛られていて、
例えば
「昼間に働きにでない人は変」だったり、
「空気読まないで使えない奴」だったり、
「人生のために、高い学歴を!」だったり、
とにかく、どんどんどんどん価値観が
小さくまるっと纏まっているような
そんな、気がします。

もうね。いろんな人がいた方が
楽しいに決まってるんです。

自分の決断で「レバ刺し」を食べる人が
いたって良いし、国が禁止するような
ことではないはずで。

「ダメ」なものが増えて、
「こうして当然」という価値観が蔓延して、
「こうあるべき像」が確立していって、
子どもが空気を読みすぎるようになって、
どんどんつまらなくなっていく。

街もちょっと綺麗過ぎるし、
例えば、外の「手すり」とかを
子どもがべたべた触って、手が黒くなるの
親として「嫌だな」と思ったりすること
ありませんか?
(私は、あります。)

そこで「汚いからやめな」と言うのは
もの凄い簡単で。

でも、私は言わないようにしたい。

子どもがいろんなモノを触りたいのは
当たり前で、手が汚れるのも当たり前。

綺麗過ぎる世界は、逆に子どもにとって
毒になるはずだから。

医学的な根拠はなく、
飽くまで私の想像ですが、
かつてより子どもの「アレルギー」
が増えたのって
世界が綺麗過ぎるからだと思うんです。

親の世代、その前の世代から、

「あれは危ないから食べちゃダメ」

「これは汚いから摂っちゃダメ」

と多くのものが排除された結果、
その血を継いだ子どもは、
ちょっとでも汚かったり、自分の耐性に
反するものに、過敏に反応してしまう
ような状態になったのではないかと。

飽くまで、推論です。

私の妄想です。

我が家の子ども、上の2人は、
アレルギー持ちです。

色々と、考えるところがあります。

でも、まあ、あんまり綺麗にしすぎなくても
良いかな、と思ったりしています。

多くの価値観に触れないと、
自分の「軸」をつくることも
できないですから。

むーん。

今日の文章が「雑多」でしたね。

敢えて、感情を濾過しないで、
アウトプットしてみました。

今日は、どんな新しい自分に出会えるか。

素敵な1日をお過ごしください!

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