連載:「頭のよい人はいつ勉強が好きになったのか」

前回に引き続き、コーチングの会社で
執行役員を務める日田さん
(コロンビア大学バイオエンジニアリング学部を経て、
東京大学法学部を卒業)に取材させて頂きました。

前回は、日田さんのお母様の
「アナタが将来、社会に出たら社会はアナタを
結果でしか評価しないけれども、
この家の中ではアナタがどんな風にどれだけ頑張ったか、
どれだけ真剣に向き合ったかで評価するわね」
という言葉で、日田さんが結果を気にせずに
勉強と向き合うプロセスを重要視できるようになった
という話でした。

今回はその続きです。
日田さんのお母様の話とても面白かったです。
胸に響くものがありました。

日田真澄さん

(荘司)
日田さんのお母様にとても興味があります。
今、振り返って、お母様とのエピソードで
今の日田さんに影響を与えていると感じている思い出を
教えて頂けますか。

(日田)
まず大前提として、母から私への、
溢れんばかりの愛情がありましたが、
母の言葉は私に時としてとても厳しかったですね。
印象に残っている話は3つあります。
1つは、「失った信頼は取り戻せない」と言われたこと。
小学校の2年か3年生の頃に、
やるといっていたことをやらなかったときがありました。
「○○ちゃんとの約束をアナタが守らなかったらから
○○ちゃんが泣いていたそうよ」と母から言われ、
「最初は約束したけど、いろいろあって結局できなかったんだ」
と言い訳をしたら、叱る訳でもなく、諭(さと)す訳でもなく、
「失った信頼は取り戻せないよ」と一言だけ言われました。
この一言にとてつもないショックを受けました。
信頼を失ってしまうことの怖さを悟ったのです。
失った信頼を取り戻せるかどうか、その是非というよりも、
それを小学生の時に平然と云いのけて、
今でもその情景が記憶に残るだけの
インパクトを残したことはすごいですよね。

2つ目は、私が22歳の時、
大学でやりたいことが見つからず、
この先、何をすべきか悩んでいた時の母の一言。
「変な質問かもしれないけど、
アナタってどういう風に死にたいか、そのイメージはある?」
と聞かれ、
「そんなのある訳ないじゃん。
まだ22歳なんだし、そんなイメージなんてできないよ」
と答えました。
すると、
母が「それは分かるけどまあ、考えてみてよ」
と言うので、
私は「うーん、家族や孫に囲まれて、
病院ではなく自分の家で人生の最期を迎えたい」
と話すと、
「どんな家なの?」と聞いてきます。
「和風の建物で、目の前に海が見えて、後ろには山が見えるかな」
と答えました。
すると、
「そうなんだ。その土地ってどの辺を想像したの?」
と母が問いかけるので、
「そうだなぁ。鎌倉あたりかなぁ」
と答えました。
「なぜ、鎌倉なんだろう?」
といった話をしながら、
「アナタってそんな風に生きたいのねぇ」
と言われ、
「子どもも欲しいし、孫も欲しいのね」
などと言われているうちに、
今、大学で勉強していることや、
卒業後の就職先のことといった悩みは短期的な話であって、
目先のことしか考えていない自分に気がつき、
目の前がパッと広がりました。
最後に母から「なにか見えてきた?」と聞かれ、
「まだ見えてないけど、前を向いて進めていけそうな気がする」
と答えました。
母はにっこり「よかったね」と言いました。
その時のことを今でも鮮明に覚えています。

最後は、私が一番考えた母の言葉です。
中学校2年生の時の話で、
どんな文脈だったかは忘れましたが、
母から「友達も親戚も、
最終的にはアナタのことを救ってくれないのよ。
最後の最後までアナタことを大切にしてくれるのは、親だけよ」
と言われ、「えーっ」と思ったのです。
当時は、友達との永遠の友情を信じたい年頃でしたので
その言葉に反発しました。
その時、父は珍しく否定したので
余計に記憶に残っているのかもしれません。
父と母は真逆の性格で、すごく穏やかでポワーンとしていて、
いつも暖かくつつみこんでくれる人でした。
母のように鋭い言葉は発することはありません。
母がどんなにキツイことを言おうと、
「それはお母さんの考え方で厳しい考えだね。
だけど、僕もそれでいいと思うよ。」
といった具合に、常に母の意見や考えを承認し、
その二人の対話を見ながら、
最終的に私なりの判断を任されることが多かったのです。
が、その時ばかりは、父がうーんと考えた後、
「それは違うかもしれないね」と母の言葉を否定したのです。
「両親が自分の子どもを最期まで大切にするのは当たり前だけど、
友達でも、親戚でも、最後まで信頼できるし、
救いあえる関係であり続けられる。
現実はそうでない時もあるかもしれないけど、
その可能性を捨ててしまったら人生が面白くないよ」
と父が母に言ったのです。
母はとても厳しい環境の中で育ってきたので、
幼少時代の経験からのサバイバルの法則を
自分で編み出していたのだと思います。

実は、その話に続きがあります。
10年ほど前、母が私に
「昔、そんな言葉を言ったけど今はそう思わないの」
と唐突に言ってきました。
「アナタはもう分かっているかもしれないけど、
友達も親戚も自分自身が大切に想っていれば、
いざという時に救ってくれる存在だと思う。
お父さんや周りの人を見ていたらそうだと思えるようになった。
今は友達を信じているし、親族も信じている。
いざという時に、
この人たちは私を助けてくれると心の底から思えるの。
齢(よわい)60になって、
こんなにも人間の価値観て変わるもんだなんだと
自分でも不思議に思う。」
と言われ、私は驚きしました。
何歳になっても人は学び続けるし、
考え方は変わっていくものなんだなぁと。
母は筋が一本通っているけど
頑固の性格な人だと思ってきましたが、
そうではなくて、その時その時の軸は持つけど
常に柔軟に自分の価値感を変えていける人なんだなぁ
と思ったのです。

(荘司)
昔、自分が言ったことをきちんと覚えていて、
間違っていた思った時は、それを訂正するなんて
よっぽど強い意志と信念がなければできません。
日田さんへのお母様の愛情の深さも感じます。
私も一本、筋の通った生き方を目指していきたいです。
多分,無理ですが・・・。

次回は、日田さん流の勉強の工夫の仕方について教えて頂きます。
衝撃的な内容でした。ご期待ください。

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”