昔の線路

父方の祖父は森林鉄道の機関士だったそうです。
山で切り出した材木を街場の製材所まで運ぶ仕事です。

祖父が働いていたのは戦前のことなので、
当然自動車など普及しておらず、
山間部の集落の人々が街場に出てくるのは
大変なことだったようです。
そこで、集落の人々は、
街場と山間部との間を走る森林鉄道を利用することを考えたのです。
但し、森林鉄道はあくまで貨物列車なので
乗客を乗せることを前提としておりません。
だから集落の人々は線路の脇に運賃代わりに
「どぶろく」を置いて列車を待ち、乗せてもらったそうです。

本来はそのようなルールはありませんので、
厳格に拒否する機関士もいたようですが、
祖父は気前良く乗せてあげた人だったようです。
山から戻って来る頃には祖父の座席の足下には
「どぶろく」が並んでおり、
「稼ぎの良い日」には機関車に備えられた電話で事務所に
「宴会の準備をせよ」と連絡してきて、宴会場に直行し
、若い衆を集めて振る舞っていたそうです。
祖母の指令で祖父を迎えにいった父がスルメを預けられてそのまま
「ミイラ取りがミイラ」になったという話も父から聞かされました。

若い頃の祖父がどんな人だったかは話で聞いただけだったのですが、
祖父を良く知る町の古老達が私のことを知り
「おめえ、サスエ(祖父は佐藤末吉なので、
サスエと呼ばれていました)の孫が、そうが、そうが」
とニコニコしながら語りかけて来る時の雰囲気から、
祖父が町の人に大層好かれていたことを感じ取ることができました。

ルールを厳格に守るかどうかは状況によると思うので
祖父の対応の是非を判断するのは難しいのですが、
少なくとも「厳格な遵法」だけが
ルールの運用の全てでは無いことを祖父の話から学びました。

それにしても、「教育」という営みは
本人の与り知らない所でもなされるものなのですね。
私が大学生の時に鬼籍に入った祖父は、
私が祖父の孫であることを誇りに思って
生きていることなど知らないでしょうから。

 

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