教室で学ぶもの

予備校職員時代の出来事です。
学校に行かずに家庭で勉強しているという小学生の兄と妹が
高3生や浪人生向けの講習会に参加したことがありました。
5年生・3年生くらいだったと思いますが、
お兄ちゃんは数学、妹は英語の授業に出ました。
大学受験対策の授業に出るのですから大したものですが、
相手は小学生。
不測の事態に備え、
私はお兄ちゃんの教室にお世話係として控えることになりました。

授業が始まり、プリントを配布しだした講師が、
最前列のお兄ちゃんに束の1つを手渡し
「1枚とって後ろに渡して」と言いました。
よくある光景です。
するとお兄ちゃん、プリントを1枚取って、
「その1枚を」後ろの生徒に渡したのです!
私はあわてて、「こちらの束の方を後ろに渡して下さいね」
とアシストしました。

授業が進み、問題の解説中に講師が
「この過程の説明はいらないよね、みんな分かるよね?」
と言った時、次の事件は起こりました。
聴いている方は高3生や浪人生ですから
「は~い、わかります」などと声を出さず、
軽く頷いて了解したのですが、
お兄ちゃんは、後ろから「わかってる」
という声が聞こえなかったので、
思わず立ち上がり振り向きざまに
「え~、みんなこんな簡単な問題分からないの?」
と大きな声で言ってしまったのです(笑)

驚きの事件でしたが、
お兄ちゃんの行動は理解できないものではありません。

解釈によってはプリントの渡し方は指示通りですし、
教師の質問に「返事をしない=分からないから」
と考えるのも理解できます。
むしろ我々がお兄ちゃんのような行動を取らないのは、
長年の学校生活を通じて「プリントの配布」や
「教師の問いかけに対する答え方」を「暗黙の了解」
として共有しているからだと思います。

そう考えると、学校で学ぶものは「教科の内容」だけではなく、
集団生活に必要な「暗黙の了解」に基づく「習慣」も
相当あるのだと思えてきます。
そんなことを痛感させられたある夏の出来事でした。

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