黒板に数式を書く教師

5回にわたって「教育で人を変える」ことについて書いてきましたが、
今までのことを踏まえた上で「教育」という行為そのものについて
考えてみたいと思います。

教育とは先人が積み上げてきた文明の遺産
(学問・芸術・文化・伝統・規範・価値など)
を後人に継承する行為でもありますから、
教育する立場の人間はそれらをしっかりと学び、
子ども達に伝えていかねばならないでしょう。

その一方で時代は変化しますから
、新しい状況には対応しなければなりません。
新しい物も「学ぶ」けれども、時代に「迎合」するのではなく、
古い物でも「良いものは良い」として伝える。
その一方で、新しい物の中から
「人類の宝物」が生まれる可能性にも留意せねばなりません。

また、どんなに懸命に頑張っても、
「被教育者が想定通り変わるとは限らない」とか
「自分の教育的影響など被教育者の
教育的変化の全体の中の一部に過ぎない」とか
「被教育者に感謝されることも無いかも知れない」
「感謝されたとしても自分では確認できないかも知れない」
ということを折り込んで教育に当たらねばならないでしょう。

そして何よりも、時代が進む中でいずれ自分は
「後人に否定されたり、乗り越えられたりする存在である」
ことを理解した上で後人の肥やしになることを
覚悟しておかねばならないでしょう。

いやはや、書いている私も虚しくなってきます。
教育に関わるとはよほどの聖人君子でなければ
やっていられないような気がしてきますね。
でも大きな歴史の流れの中で考えれば当然のことであり、
過去の人々も意識するか否かは別にして、
みんなそうしてきたのです。

虚しいと思った時は、個人の歴史ではなく人類の歴史、
個人的利害では無く社会全体の福利という視点で
見つめ直してみたらどうでしょうか。
そのような視点に立てば景色は少し違って見えるように思えます。

次回からはそのような「俯瞰的視点」から「そもそも『教育』とか
『学ぶ』とは何なのか」を考えてみたいと思います。

 

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”