僕が誓うとき

キリスト幼稚園で「祈り」が日常化したせいか、
私の中で、誓いを立てることや、
それをどこかで神様が見ていることなどが
当たり前になりました。

もっとも、幼稚園の時に自宅の本棚の
『偉人の伝記』の中にキリストを見つけ、
「あれ~イエス様のお話って本当の話なの?」
と感じた記憶があるので、信仰というよりは自分の中の
「道徳」に近いものだったかも知れません。

幼稚園の時、男子友達と一緒に仲良しの女子をからかった後で、
とても後味が悪かったので、その子の自宅まで謝りに行こうと
決心し、家がわからなくて帰ってきたことがありました(笑)
その記憶からか、小学1年生の時に
「ぼくはおんなのこのいやがることはしない。
スカートめくりなどぜったいしない」
と「ちかい」を立てたことがあります。

また、小学5年生くらいになると、
まわりの男子は女子の胸に触って喜んでいたのですが、
この時も「絶対しない!」と誓いを立てました。
その頃、放課後、女子も含めて「宝相撲(*)」
という遊びが流行っていました。
向かって来る相手を線の外に押し出さねばならないのですが、
女子が相手の場合、「誓い」のために大変苦労しました(笑)

ある時、昇降口で靴を履こうと片足立ちになり、
バランスを崩して倒れそうになりました。
何とか転ばずに済んだのですが、
運悪くある女子の胸の辺りに手が触れてしまったのです。
謝られた女子は「別に大したことないよ」
という顔でその場を立ち去ったのですが、
私の方は「誓いを破った=大変な罪を犯してしまった」
という罪悪感で、しばらくそこ場でうなだれていたと
記憶しています(笑)

今思うと大変滑稽な話かも知れませんが、
他人の目よりも、自分の中にあるルールを遵守することが
重要だったように思います。
そういう言い方をすると、「ゴルゴ13」のようでカッコイイですが、
片や神様、片やナマハゲのような父親が見ているのですから、
小学生の頃から悪いことをするのは至難の業だったと思います(笑)

(*)
2つのチームに分かれ、校庭に線を引き、
相手の陣地に侵入して「宝」を踏むと勝ちという遊び。
「肉だん」という呼び方もあるらしい。

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