炎

私とY先生はお互いに後に引けなくなり、
関係は悪化する一方でした。
Y先生は
「啖呵を切った以上今さら自分が間違っていたとは言えない」、
私は
「先生が謝罪するまでは止めるわけには行かない」
状況になっていたのです。

そうなると先生も人間ですから、
私に対する心証が悪くなり、
別件でも私を感情的に叱りつけるようになっていきます。

私も事実誤認で叱る先生に怒りを覚え、
態度が悪くなるという悪循環です。
そして、とうとう、決定的な事件がおこります。

その日、学校の敷地内で清掃が行われ、
枯葉などを集めていました。
私と仲の良い友達のS君は
「みんな、ちんたらやっているので、さっさと片付けよう」
ということで合意し、全力でノルマ分の枯葉集めを終了し、
枯葉の入った大きな段ボールを2人で持って、
早々と集積場所に向かっていました。

そこに通りかかったY先生。
サボっていたように見えたのでしょうか、いきなり

「遊んでないで真面目にやれ!」

と怒鳴りつけてきました。
事情を確認もせずに言ってきたことに頭に来た私は

「終わったんだよ~。」

と言い返しました。
すると、Y先生もますますヒートアップして、
とうとう言ってしまったのです。

「そういう反抗的な態度だと、内申書は保証しないからね!」

何ということでしょうか。
教師が「内申書」をちらつかせて
生徒を黙らせようとするなど言語道断です。

私も頭に来て・・・

「うるせ~、だったら成績だけで高校に受かってやるよ!」

と言い返しました。

当時、麹町中学校内申書事件の裁判(*)があり、
内申書と高校入試の関係が社会問題になっていた時代です。
先生も「内申書」をちらつかせた時に生徒に対して
どのような精神的影響があるかは判断可能だったと思います。
その時代状況での「内申書」発言だったので、
私も相当激昂したのです。
もっとも、高校受験における内申書のウェイトなど勘案せず、
勢いだけで「成績だけで受かる」と言ったのですから、
私も愚かでした(笑)(つづく)

(*)
現在世田谷区長の保坂展人氏が高校入試で不合格になったのは、
中学時代に学生運動をしていた事実について
内申書に書かれたことが原因だとして
損害賠償を求めた裁判(1972年~)。
一審は慰謝料の支払いを認めたが、二審での原告敗訴を受け、
原告が上告。最高裁で上告が棄却された(1988年)。

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”