連載「頭のよい人はいつ勉強が好きになったのか」

社会人になっても魅力的に活躍している
同世代の方たちを取材し、
「勉強する意思」が芽生えたキッカケを探ることとなりました。

記念すべき第一回は、
友人の矢作さんにインタビューをお願いし、
快諾してもらいました。

矢作達也さん

矢作さんは1974年生まれ。
東京大学を現役で合格し、
現在、弁護士として活躍されています。

(荘司、以下「S」)
学ぶことの面白さや楽しさを
意識し始めたのはいつからですか?

(矢作、以下「Y」)
小学校2年生ぐらい頃でしょうか。
大阪から奈良県に引っ越しました。
自然環境に恵まれた場所だったので、
クワガタやかぶと虫の採集に夢中になりました。
その影響で他の昆虫にも興味を抱くようになり、
小学校の図書室で図鑑などで調べるようになりました。
それがキッカケだったように思います。

(S)
小学校時代から図書室に通っていたのですか!

(Y)
あの頃は昆虫の種類や宇宙の話を
図書室で調べることが好きで、
「将来は科学者や研究者になりたいなぁ。」
なんて考えていました。
好きなことを調べることから始めたので小学校時代は、
学ぶことに対する抵抗感はありませんでした。

(S)
中学生時代はどうでしたか?

(Y)
中学からは私立に通いました。
公立の場合、丸坊主にならなくてはいけなくて、
それがどうしても嫌だったのです。
校内暴力騒動が一段落した時代だったので、
当時の公立中学校は校則などの締め付けがとても強かった。
それに対し、私立の中学校は生徒の自主性に任す
といった自由な校風でした。
ただ、進学校だったので、
これまで通り勉強しているにもかかわらず、
順位はドーンと下がってしまいました。
平均よりも後ろの方でしたね。
中一の終わりのあたりに、そろそろやばいぞ、
このままでは巻き返せなくなってしまうと
大きく焦りはじめたことを覚えています。
その危機感がやる気スイッチを
オンにしてくれたのだと思います。

(S)
その時から、どのように勉強していったのですか?

(Y)
1日1時間は、必ず勉強しようと決めました。

(S)
その時の学習環境を教えていただけますか?

(Y)
2歳下の妹と相部屋でした。
10畳ほどの広さがあったので、
2つに区切ろうと思えば区切れたのですが、
相部屋のまま過ごしました。
特に抵抗はありませんでした。

(S)
その部屋にテレビは置いていましたか?

(Y)
テレビは子ども部屋にはありませんでした。
小学生の頃、母親の提案で1年間だけ
テレビのない生活を家族で過ごしました。
その結果、テレビに対する興味が
あまりわかなくなっていたのだと思います。
テレビゲームには、はまってしまった時期がありましたが・・・。

(S)
その後、成績はどうなりましたか?

(Y)
伸びていきました。最後の頃は、10番以内に入れました。

(S)
おー、すごい!高校時代はどうでしたか。

(Y)
高校時代も同じスタンスで勉強しました。
基本的に無理をしない。
司法試験に合格した時もそうでしたが、
試験直前に徹夜を繰り返すことなどを避け、
無理をしなくてもいいようなスケジューリングで動いていく。
かといって、自分自身にノルマを課さない。
最低限のルールとして、
毎日少しでもいいから机の上に向かう。
これを習慣づけていきました。
「ゆるく学ぶ」というのが私の勉強スタンスで、
司法試験の際にも資格学校には通わず、
この勉強スタンスを貫き、独学で合格しました。

(S)
勉強ぎらいの子ども達に何かアドバイスを頂けますか。

(Y)
好きなことからはじめて、勉強するというよりは、
学ぶことの面白さを実感する機会を増やしてほしい。
私の場合、親から勉強しなさいと言われた経験がありません。
自分のペースや自分のスタンスで勉強することが大切だと思います。

(S)
今日はありがとうございました。

*インタビュー後の感想:
「ゆるく学ぶ」という勉強スタンスに感心させられました。
勉強嫌いの子ども達の多くは、勉強することについて、
ノルマを課せられているように感じています。
それでは、嫌々、勉強と向き合うことになり、ムラもでる。
その点、矢作さんの「ゆるく学ぶ」というスタンスは、
幼少期の昆虫や宇宙に対する興味から、
自然と体質化されたもので学ぶことへの抵抗感がない。
勉強したい所から勉強する。
面倒なルールは設けない。
まさに、誠実な矢作さんらしい
勉強に対する向き合い方だと思います。

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