しばらく、お休みをいただきました。

私自身のパワーアップのために。

何をしていたかというと。

「精神と時の部屋」に入っていました。

ちょっと質問です。
白いご飯、好きですかー!

納豆。鮭。
熱々の味噌汁。
そして、白いご飯。
ゆっくり噛み締めながら、米の甘みを楽しむ。

きっと、多くの日本人は、
白いご飯を大好きと思います。
なぜ「好き」なんでしょう。

それは「過去に食べたときに美味しくて
自分はこれを好きだー!」と
何度も思ってきたから、のはずです。
だから、白いご飯を「好き」なんです。

逆に。
嫌いなものを想像してください。
小学校のとき、グリンピースが嫌いな女の子、
椎茸を必ず残す男の子、色々な「嫌い」を
みてきた経験があるかと思います。
なぜ「嫌い」なんでしょう。

それはきっと、最初に食べたとき
「うーわ、なんだこれ!ひどい味だ!」と
感じ、それ以降、食べても食べても
親に無理やり食べさせられても、
その度に「やっぱり不味い!」という感覚を
持って、蓄積してきたからです。

でも、例えば。
今日の昼。
いつもの定食屋で食べる白いご飯が
劇的にまずかったらどうでしょう。
具に紛れて気がつかずに口に入った
グリンピースが、脳内に革命を起こすほど
劇的に美味しかったらどうでしょう。

あれ?

と、思うのではないでしょうか。
そして、そんな経験が何回か続いたら、
「あれ?もしかして・・・?」
と思うはずです。

何が言いたいか。

理論構成の途中経過をすっとばしますが、
好きか嫌いかなんて感覚は、所詮は
「過去の記憶」の連続体から
形成されている、と。
「そういう考えもあるかな?」と思って、
読み進めてほしい。

自分が嫌いなあの人は「過去に嫌い」と
思った経験があるから嫌いなのであり、
きっとこれからも嫌いだと思っている。
できないと思っている何かは、
過去にできなかった経験があるか、
若しくは「できなそう」と思ったことから
挑戦せずに放置してしまって、
きっとこれからもできないんだと思っている。

でも、そんな「これから」は、
所詮は過去の記憶の産物なのでは?
という感覚を持ったとしたら。
どんなことが起きるでしょうか。

今の自分の価値判断や、勝算や、
見込みなんてものは、
非常に曖昧なものなのでは?という疑問が
起こるのではないでしょうか。

その曖昧模糊とした中に、もしかしたら、
嫌いな食材を好きになる可能性、
嫌いだった人を好きになる可能性、
不可能と思っていたことをやり遂げる可能性。
そんな未来を
見い出したりはできないでしょうか。

新しい可能性を、見つけ出すことが
できそうな気がしないでしょうか。

その新しい可能性は、自分で自由に勝手に
想像して良いもので、それがどんどんと
実現していくものになるとしたら。

私の入った精神と時の部屋は、
「新しい自由な可能性」を探求し、
実現に向かわせるための、
非凡な自分を生み出すための空間でした。

近年、稀に体験した、貴重な時間でした。

私は、制限なく、何でも自由にしている。
そんな、未来への可能性を見い出しました。
発明しました。

お読みいただき、ありがとうございます。

今夜も、素敵な時間をお過ごしください!

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