かっこいい『大人』になる
なんで、大人がそんな曲を弾くの?

なんで、大人がそんな曲を弾くの?

10年以上前の事でしょうか。 私は母に連れられ、あるピアニストのコンサートに行きました。 ヨーロッパの世界的ピアニストが来日して開催したコンサートです。 とても美しい音色で、時が経った今でも、耳に焼き付いています。 しか [...]
マイムグループ、カンジヤマ・マイムの藤倉健雄さんにお会いしてきました。

マイムグループ、カンジヤマ・マイムの藤倉健雄さんにお会いしてきました。

“白塗りの大道芸” そんな従来のパントマイムの概念を破り、 人々に感動を与えるカンジヤマ・マイム氏。 今回同氏にインタビューを依頼するきっかけとなったのは、 一冊の本でした。 その本を切り口に、英語観、教育観、自身のこと [...]
教育について考える(9)| 実践性の回復 道元 その2

教育について考える(9)| 実践性の回復 道元 その2

道元は日常の全てが修行だとしますが、 中でも坐禅を最高の修行として、ただひたすら坐禅することを説きます。(*1) そして、修行の結果として悟り(証)に達するのでは無く、 修行(坐禅)そのものが悟りであると考えたのです。( [...]
教育について考える(8)| 実践性の回復 道元 その1

教育について考える(8)| 実践性の回復 道元 その1

鎌倉時代に広まった禅宗としては、 栄西が開いた臨済宗と道元が開いた曹洞宗が有名です。 どちらも坐禅という修行を行いますが、臨済宗が「公案=こうあん」という 師から与えられる問題(*1)を一つ一つ解決して 悟りに達しようと [...]
教育について考える(7)| 実践性の回復 親鸞

教育について考える(7)| 実践性の回復 親鸞

鎌倉時代、「念仏」を唱えれば 極楽浄土に生まれ変わることができるとしたのは 法然・親鸞・一遍です(*1)が、今回は親鸞(しんらん)に注目します。 親鸞の師である法然は「ただひたすら念仏を唱える(*2)だけで 極楽浄土に行 [...]
教育について考える(6)| 仏教の展開と現代の学び

教育について考える(6)| 仏教の展開と現代の学び

お釈迦様の時代の仏教は、 一部の出家修行者が厳しい修行を経た後に悟りを開くというものでした。 その後、大乗仏教の登場により、 より多くの人に悟りの可能性が生まれました。 仏教が日本に入ってきた後 「悟りを開くための能力に [...]
教育について考える(5)| 仏教の展開から考える

教育について考える(5)| 仏教の展開から考える

学び続ける理由を考えるために、 インドや日本の仏教の展開を概観してみたいと思います。 少し回り道をしますがお付き合い下さい。 元々のお釈迦様の時代の仏教は 「少数の出家修行者が厳しい修行を経て悟りを開く(*1)」 もので [...]
教育について考える(3)| カリスマ講師の課題

教育について考える(3)| カリスマ講師の課題

予備校講師といえばマスコミなどでも注目される 「カリスマ講師」が耳目を集めます。 しかし、ありようによっては (予備校経営的には旨みがあっても)教育的には課題が残る場合があります。 それは 「私はこの科目のことについては [...]
教育について考える(2)| 欲望の欲望

教育について考える(2)| 欲望の欲望

内田樹氏が、「学校というところは、 すべての制度的虚飾を削ぎ落とせば、 「知」に対する欲望を持つ者(=教師)の欲望が、 「知」に対する欲望をもつ者(=学生)の欲望の対象となる、という 「欲望の欲望」構造に帰着する。」と書 [...]
教育で人を変える(6)

教育で人を変える(6)

5回にわたって「教育で人を変える」ことについて書いてきましたが、 今までのことを踏まえた上で「教育」という行為そのものについて 考えてみたいと思います。 教育とは先人が積み上げてきた文明の遺産 (学問・芸術・文化・伝統・ [...]
教育で人を変える(5)

教育で人を変える(5)

昨今、「想定外」という言葉が氾濫していますが、 そもそも人間が全ての事象を「想定」できるという 前提そのものが間違っていないでしょうか。 例えば、教育の例で考えてみましょう。 教育という行為は、一面、先人が積み上げてきた [...]
教育で人を変える(4)

教育で人を変える(4)

作家の曽野綾子氏は 「人を改変する力は多分に偶然によるもの」 と指摘されています。 確かに自分の人生を振り返っても、 何かの影響を受けて自分自身が変わる時、 そこには「偶然」があったような気がします。 中学生の頃、いろい [...]