驚く女の子

内田樹氏が著書(*)の中で
学校に通う意義について次のように書いています。

『学校というのは子どもに
「自分は何を知らないか」を学ばせる場である。
(中略)たくさんの教科を学校が用意しているのは、
本来生徒たちに「自分が何を知らないか、何ができないか」
を知らせるためである。
世の中には自分の知らないことがたくさんあるんだ、
と思うことができれば、
それだけで学校に行った甲斐はある。』

「自分自身が無知であることを自覚すべきだ」
というソクラテスの「無知の知」
に通じるものがありますね。
これが学びにとって大変重要です。

例えば、
辞書で知らない言葉を
調べる時の感覚を思い浮かべて下さい。

私の世代は電子辞書やインターネットがありませんでしたから、
知らない言葉を調べるのはもっぱら紙の辞書です。
そうすると、自分の目指す言葉に至るために
「深い深い言葉の森」を抜けていくより他ありませんでした。

高校生以降に使う辞書などは大変厚いもので、
言葉を一つ調べる時に、
「随分とたくさんの言葉があるものだなあ、
一生かかっても覚えきれないだろう」
という感覚を伴って学習したので、
「自分の知っている言葉など
膨大な量のほんの一部に過ぎない」
という意識を自然に身につけていたと思います。

だから仮に試験で良い点数などをとっても
どこかに謙虚さを維持できました。
現代は、電子辞書でもウィキペディアでも、
「検索」によって一発で解答に至ることができますから、
便利さの一方で「辞書の分厚さ」を実感する機会を
失ってしまいまいた。

その結果、「僕は試験で合格するくらいなのだから、
実にたくさんのことを知っている」
という「夜郎自大」な人間を増加させているようにも感じます。

その感覚こそ、学ぶ意欲を低減させるものです。
そんな便利な時代だからこそ、
学校に通って「世の中には自分の知らないことが
たくさんあるのだなあ・・・。」という
「謙虚さ」身につけることの重要性が
増しているように感じます。

(*)
内田樹『狼少年のパラドクス ウチダ式教育再生論』
朝日新聞社(2007年)P.25

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