紙に何かを書こうとする女の子

教育という行為を学ぶ側の立場から考えてみましょう。

子どもだけでなく、大人にとっても、
とても重要だけども答えるのが大変難しいのが
「何のために勉強するのか」という問ではないでしょうか。

私も小学生の頃から、この問に対する答えを追い求めていますが、
その問に対して、世間も含めて周りの大人たちは
「良い高校に入るためだよ」と答え(*1)、
何のために「良い高校に行くのか」と問えば
「良い大学に行くため」と答えました。

その先は「良い会社」に就職して、
「良い条件」で働いて「高い賃金を得て」
「幸せになる」という回答が定番でした。

しかし、何のために「勉強するのか」から始まったこの問に対する回答を
よく吟味してみると「勉強自体」は大学「入学」で
終わってしまうように思えましたし、
実際に見聞きする大学生も、
とても勉強しているようには思えませんでした。

日本の大学生は昔から「勉強しない」と言われてきましたし、
昨今、秋田県の国際教養大学(*2)が話題になっていることを考えると、
ほとんどの方は大学に入るための受験勉強で勉強を終えるか、
ペースダウンしてしまうようです。

(大学生くらいになって気づくことになりますが)現実には、
その後も「就職試験」「国家試験」「昇進試験」などがありますから、
大学入学で一旦勉強のペースを落とした方々も、慌てて勉強を再開します。
しかし、あくまで「○○試験」のためにやる勉強の場合、
試験終了とともに勉強も終わってしまいがちです。

やはり多くの方にとっては、必要性が見当たらないこともあり、
勉強を「続ける」というのは難しい行為のようです。
大人にとっても難しいくらいですから、
子どもが勉強のモチベーションを維持するというのは
一層大変だと言えるかも知れません。

しかし、本当に学ぶということを
人生の途中でやめてしまっても良いものなのでしょうか。
仮に続ける理由があるとすれば、
それをどこに見出せば良いのでしょうか。(続く)

(*1)
私が小学生時代だった1970年代の秋田県では小学受験、中学受験などは
一般的ではありませんでしたから「受験」というのは高校からでした。

(*2)
4年間で卒業できるのは半分くらい、図書館は365日、24時間開いているなど、
勉強せざるを得ない、勉強できる環境の大学であることが話題になっています。

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