閃いた男性

福岡伸一氏のアイデアを援用し「知の動的平衡」という概念で
「学習」のイメージを作ることで、
継続することの大切さは想像できたのですが、
次に道元におけるもう一つの疑問、
「修行をしている最中こそ悟りを体得できる」と
「学習」とを、結びつけて考えてみたいと思います。

こちらは脳科学者の茂木健一郎氏の話に耳を傾けてみたいと思います。
脳における様々な現象を分かりやすく説いてくれる茂木氏ですが、
その現象の一つに「アハ体験」というものがあります。

「アハ体験」はひらめきや気付きの瞬間に「あっ!」と感じる体験で、
その瞬間に脳内の神経細胞が一斉に活性化するそうです。
確かに「何かがわかった瞬間」というのは、
何とも言えない快感や喜びを覚えるもので、
脳内に何かがおこっていることは想像できます。
これは多くの人が経験しているところではないでしょうか。

もしかしたら道元の「悟り」というのは、
この状態に近いのではないかでしょうか。
「アハ体験」は「瞬間」の出来事ですし、
次々と新しいことに遭遇せねば「ひらめきや気付き」は生じません。
「わかったこと」は次の瞬間には、
自分の中で「当たり前」になるからです。

「学習」し続け、
考え続けることで「発見」し続けることと、
「修行」し続け、
追究し続けることで「悟り」続けることは、
類似のことなのではないかと思います。

「アハ体験」の快感を強く感じられる人は
さらなる快感や喜びを求めて、より多くの、
より高度な「アハ体験」を追い求め、
結果として「学習」を継続することになるでしょう。

「悟り」の快感を強く感じられる僧侶も、
道元が出会った老僧(*1)のように
「修行」を継続することになるのだと思います。

「学習→アハ体験→快感→さらなる快感を求めて学習」
という学習の循環に至れば、
「何かのために学習して、目的が達成されればやめてしまう」
という学習から脱却でき、
学習そのものを目的として学ぶという状態に
なっていくのではないでしょうか。(続く)

(*1)
道元が僧に渡った時に遭遇した干椎茸を買い求めていた典座(てんぞ)。

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”