多くの価値観に触れること

小論文が苦手な生徒は総じて「複数の第三者」との
付き合い方が苦手であると、そして、それはつまり、
自分と異なる考え方を持つであろう第三者を
想像することが苦手であると申し上げました。

この第三者を想像することが、
いわゆる「客観的視点を持つ」ということなんですが、
当然ながら「客観的視点を持つ」のが苦手な生徒に
「客観的視点を持て」といっても通じません。

そこで、得意な生徒に目を向けて
その特徴を一般化してみましょう。
得意な生徒は総じて「具体例が客観的」という話は
最初の回から申し上げているのですが、
まぁ要するに、他者の想像が上手なんですね。

ここに注目して、上手な生徒の話を掘り下げてみたんです。
すると話のキーワードとしてよく聞く言葉で
「社会」というものがでてきました。

非常に抽象的な概念です。

当然、この言葉の抽象性を僕は逃しませんので、
「社会って何?」と意地悪く追及します。
殆どの生徒は困惑こそしましたが、
はっきりと共通するイメージができていました。

それは「様々な考え方が集まって相対化した空間(場)」
というものでした。
(社会学者や専門家の方々からすれば、もっと立派な(?)
定義付けがあるのかとは思いますが、そこは目をつぶって頂いて、
今回はこの結果に焦点をあてさせて下さい。)

そうなんです。

小論文が上手な生徒は「自分と違う考え方が存在することを
(少なくとも紙の上では)肯定している」んです。
そういった考えを意識して自らの主張を構成するわけですから、
人に添削される前に自ずと反論をぶつけ合っているのです。
同じような質問を苦手な生徒にしてみたら
「意識したことなかった」との意見が多かったです。

自分と考えが異なる人との出会いは
仕事でも生活でも日々直面します。
社会人になれば、ある程度の経験とともに
培われていく意識ではありますが、それでもその事実を意識して
人と接していくのとそうでない場合とでは、
種々の選択に違いが出ることはお分かりでしょう。

立場が保護され限定された空間を生きている学生であれば、
未知の世界や相手を想像することは、
なおのこと容易ではないでしょう。

しかし、そのように多くの人に会い、
多くの経験ができない学生でも、
そのトレーニングをすることはできます。
実は、小論文が得意な生徒にはもう一つ大きな共通点がありました。
得意な生徒は総じて文系理系に限らず、
(科目としての)社会科に「興味や関心があった」のです。

社会科とは自分が知らない(体験していない)世の中の仕組みや
歴史、場所を知るための科目です。
そうであれば知識が多い生徒は自分が実際に体験をしていなくとも、
知識を利用して様々な立場や状況に
想像を広げることが可能になるんですね。

学校での学習を利用して、他者に対する想像力を養うことが、
ひいては異文化の相互理解に繋がるという論法は、
あながち間違いではないと感じさせてくれた
小論文指導のお話でした。

それでは今日も良い一日を!

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