ビーバー:湖

「勉強する」ということの意義を林竹二先生の孫弟子の立場から
考えてみたいと思います。
(私は大学時代、林先生のお弟子さんの研究室にいました。)

林竹二先生とは宮城教育大学の学長も務めた教育哲学者ですが、
「人間について」という哲学的授業を通じ「人間とは何か」
「学ぶとは何か」ということを子ども達に気付かせていきました。
例えば、「ビーバーがダムを造る行為と人間がダムを造る行為では
何が違うか」という問から始め、
ビーバーは本能でダムを造ることができるが、人間にはできない。
ただし人間は新しい物を生み出すことができるが、
ビーバーは100年経っても同じ物を造り続ける。
結論として人間には過去の人間の成果を学習し、
その上に積み重ねて新しい物を生み出すという「理性」の力がある
ということに気付かせるのです。

林先生はまた
「人間だけが自分の生きる道を自分で選択できる存在である」
と述べられました。
本能に従って生きる動物は、
生きるために必要な情報の多くが本能の中に仕込まれていて、
学ぶことは人間ほど多くないが、生き方に幅や選択肢は少ない。
それに対して人間は、生きるためにはたくさんのことを
学ばねばならないけれど、
学ぶことによって生き方は多様になるのです。
自分の望む生き方ができる可能性も高まりますし、
より良く生きようという意志を発揮することも可能です。

子どもの頃から
「良い高校に入り、良い大学に入り、
良い会社に入るために勉強する」
という世間一般の説明に納得できなかった私は、
大学で林先生の思想に出会い、
やっと納得できる理由を見つけることができたと思っています。

何のために勉強するのか。
「人間が人間らしく生きるため、より正しく生きるため、
自分の人生を自分で選択して生きるために学ぶのだ」
というのがその問の対する私の回答です。
その回答が見つかってから、勉強することと、
より正しく生きるという哲学的課題が直結したのです。

 

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