先生としての傲慢に気がついたとき

アルバイトをしていた学習塾では、
重要語句を空欄にした自作のプリントを使っていました。
話を聞きながら空欄を埋めていくという授業は
大変効率的なもので、生徒にも好評でした。

しかし、それは聾学校では全く通用しない手法だったのです。

聾学校の生徒達は聴覚に障害があるのですから、
相手の話を聴く時には相手の口元を見ます(*)。
ですから「聞きながら書く」ということ自体が
困難な作業なのです。

学習内容をプリントに書かせるにしても、
何を書くのかを理解させてから、
プリントに目を向けさせます。
生徒達が「書いている」最中に
私が話したことは、
彼らの頭には入らないのです。

それだけではありません。

私は黒板だけでなく、
OHPなども駆使して授業を展開しましたが、
生徒達が目を向けるものが増えた場合、
それぞれの対象物に視線を向けている間、
視線外で話した内容は伝わらないのです。
黒板だけの授業の際にも、横向きで話したり、
黒板に向かって状態で話したりしたら駄目なのです。

少し考えればわかることかも知れませんが、
情けないことにそれに気付かず授業をしていました。
生徒からすれば、
私の授業は「音声が頻繁に途切れるテレビ」
でも見ているような感覚だったのでしょう。
授業が進むにつれていらだつのはよくわかります。

そこに気付いた時、
ガツンと頭を殴られたようなショックを受け、
次の瞬間には強い自己嫌悪に陥りました。

学習塾で多少評判だったからとうぬぼれていた・・・。
目の前の生徒のことが見えていなかった・・・。
今まで教育についてえらそうなことを
語ってきていたのに何もわかっていなかった・・・。
そもそも「消化試合」のような感覚で
なめてかかるからこうなるのだ・・・。
などなど。

自分の愚かさを痛感して涙があふれました。

そして、一念発起したのです。

「この失策は必ず取り返さねばならない、
このままで終わることはできない、
何か一つでも生徒達の心を揺さぶるような
授業をしなければ実習を終える訳にはいかない!」

と考えたのです。

(*)聾学校では健常者とのコミュニケーションを考え、
手話は使わずに授業をしていました。

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