丘を走る子ども

両親の教え、キリスト教、読書経験などから
道徳を内面化していった私でしたが、
中学生くらいから、少し生き辛い日々が続きました。

私の中学生から高校生にかけての頃(*)は
「校内暴力」が社会問題化し、
「受験勉強に偏重した詰め込み教育が諸問題の原因である」
という見立てが強い時代でした。

ただし、社会問題は地域差があり、
大学時代を過ごした仙台は私より上の学年から、
母校の中学校では2つ下の学年から
生徒が暴れ出したようです。
卒業後、母校を訪れたら、
トイレの扉が全て破壊されていたのに
仰天した記憶があります(笑)

よって、渦中にいなかった私が辛かったのは
「校内暴力」そのものではなく、
学校問題に対する「見立て」や、
そこから派生するイメージの方でした。

『3年B組金八先生』
という番組が始まったのは1979年で、
私の中学3年生の頃です。

あの番組自体はなかなか面白いものでしたが、
背景には「勉強ばかりやっていてもダメなんだ、
仲間を大切にする心が大切だ」
「世間では、不良とされる人間の心は本当は美しい」
というようなイメージがあったように思います。
それ自体は否定しません。
そういうケースもあるでしょう。

しかし、それが一般化されると、
「勉強ばかりやっているガリ勉や、
校則を遵守するような人間の性格は本当は悪い」
などと反対のイメージも生み出したと感じます。

勉強を懸命に頑張る人、さらには面白いと感じる人、
校則を守り人間的にも優れている人など
いくらでもいるでしょう。
しかしそういうものが否定されるような
時代の空気さえありました。
大人の中には「勉強なんて好きな人はいないのだから、
我慢して頑張れ」と平気で言う人もいました。

勉強を頑張る、ルールを守るなどという生活態度、
さらには勉強ができること自体も「胡散臭い」
と思われていたように思います。
学校や教科書が奨励することを世間は否定するという、
何とも複雑な状況下、自分の生き方がとても揺れ動いた
時代だったように思います。

(*)
私の中学・高校時代は1977~82年度ですが、
1970年代終盤から1980年代序盤が校内暴力、
1985年頃からそれに代わって
学級崩壊や新しいタイプのいじめが
問題になったとされています。
『3年B組金八先生』も1980年の第2編は
校内暴力がテーマになっています。

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