祈る少年

自分の道徳心のルーツとして考えられることの1つが
キリスト幼稚園の存在です。

講話・カード・紙芝居などでイエス様のお話を教わりました。
『鉄腕アトム』の紙芝居も楽しみでしたが、
聖書の話も神妙に聞いていたと記憶しています。
例えば「目からうろこ(*)」の話は
幼稚園の紙芝居で教わったと記憶しています。

また、その幼稚園では毎日朝と帰りに
「お祈り」をしました。
信仰レベルではありませんが
「神に祈る」という習慣がついたように思います。

小学校3年の頃だったでしょうか。

3学年上の兄が通信販売でミニカメラを手に入れました。
ビデオなどが一般的ではなかった時代です。
ウルトラマンなどの決定的瞬間を捉えるため、
テレビの画面を撮影していたのです。

普段は自分で撮影していたのですが、
ある時、私に撮影の指示が出ました。
「次の放送日は修学旅行のために
テレビを見ることができない、だからお前が撮るんだ」
という内容だったと記憶しています。
カメラの使い方を教わり、
どういう場面で撮るかのレクチャーを受けました。
緊張でいっぱいでしたが、全力を尽くそうと、心に誓いました。

さあ、いよいよ撮影当日。
そろそろ準備をしようと、
子ども部屋の兄の机のところに行きました。
ところが、肝心のカメラが見当たらないのです・・・。
放送時間は刻々と迫ってきます。

(どうしよう、どうしよう、困ったなあ、わ~どうしよう・・・。)

その時、ふと、「お祈りしてみれば・・・」
というアイデアが浮かんだのです。
目をつぶり、幼稚園で培ったお祈りのフレーズを述べ
「・・・しますように。
イエス様のお名前によってお祈り致します。」
と決まり文句で締め、静かに目を開けました。
すると・・・。

な、なんとその視線の先にドンビシャで
カメラがあるではありませんか!
おかげで無事に撮影を終えることができました。
本当に現金な話ではありますが(笑)、
小学3年生にとっては「神様って本当にいるんだ」
と思えるような衝撃的なできごとでした。

(*)
「目からうろこが落ちる」
キリストの奇跡により盲目の男の目が
見えるようになったという、
新約聖書の中のお話から生まれた言葉。

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