言い争う二人

医学部を出れば医者の卵、
法学部を出れば弁護士などの卵になるように、
特定の専門教育を受ければその専門の職業人になれる
というのが一般的なイメージです。
では、教育学部を出れば教師の卵になるのでしょうか?

少なくとも私が学んだ頃(1980年代)の教育大学において
「卒業したから教師として必要な知識や技術を身につけた」
という感覚は持ち得ませんでした。
学ぶ側の能力不足かも知れませんが、
教育大学で学んだことが直接「教える」という技術に
つながるとは思えませんでした。

それぞれの教科の授業、教育法に関する理論の授業などは
ありましたが、それらを「統合」して「教授学」
という学問に練り上げるところまでは
行っていなかったように思います。
語弊を覚悟で例えるなら、当時の教育大学は
「どのようにすればうちの子は勉強ができるようになるか」
「どのようにすれば勉強へのモチベーションが高まるのか」
という質問に答えられなかったということです。

その関連で問題視していたのが
「教育大と付属学校の連携のまずさ」です。
大学の教授は付属学校の教師、つまりは現場の人間を
「理論的でない」と批判し、現場の教師は大学の教授を
「現場を知らない」と批判している様子が垣間見えました。
教育実習の際に大学の教授も参加する検討会などがあるのですが、
両者の議論が平行線を辿ることがありました。
学生からすれば、「大人同士、うまく落としどころを見つけ、
理論と経験を統合して学生を教育してくれよ!」という気分でした。

そんなことで、教育に関連して大学で学んだことや
自分が考えたことに対し、現場の先生がどう応え、
どのような「現場の言い分」を表明するかについて
大変興味がありました。

だからこそ教育実習の際に、教育についての疑問や
自分の考えを思い切りぶつけていったのです。
小学校から中学校にかけての教師に対する不満や疑問もあり、
正直なところ喧嘩腰になっていたかも知れませんが・・・。
(つづく)

9つの誤解:間違いだらけの“子育て”