火炎瓶でタバコに火を点ける女性

高校を卒業してからも、
理屈に合わないことを捨て置くことはできず、
納得いく説明を求めたり、異議申し立てをしたりする姿勢は
変わらなかったと思います。
ただ、大学という場所は少々勝手が違っておりました。

大学における「異議申し立て」と言えば、
「学生運動」が連想されますが、私が大学時代は1980年代後半で、
名残はあったものの、学生運動のピークは過ぎていた頃です。

近くの東北大には「中核」や「革マル」などの
新左翼(*1)のセクトが残存していましたし、
私の大学にも「民青」(*2)がいて
自治会活動に力を入れていました。
また、同級生の中にも「三里塚」(*3)に馳せ参じて
1ヶ月ほど帰ってこないなどという強者もおりました。

しかし、迷走的な派閥抗争は不毛に思えましたし、
実現のためのプロセスを語ることなく「トマホーク反対」(*4)
「中曽根政権打倒」という看板を掲げて終わっているのは
自己満足に思えました。
また、クラスの仲間や大学内の学生さえ説得できない人達が
「革命」だの「政権打倒」だのを語るのは
順序が違うのでは無いかと思いました。

さらに、自治会活動に熱心な学生の主張に疑問をぶつけても、
「そういうことになっている」「それは上から聞いていない」
と回答されることが多く、自分の頭で考えた結果の運動などでなく、
組織の末端において指示に従って動いているだけなのかと、
がっかりしたのを覚えています。

そのような事情から学生運動と連携や
共闘をすることはありませんでしたが、
大学における教育の在り方、教員養成の在り方などに
疑問を覚えることは多々ありました。

ただ、当然のことですが、大学生くらいになると、
自分を取り巻く社会が広がり、異議申し立てや質問の相手が、
国や自治体などの「遠い」存在になってしまい、
手をこまねいていたというのが実情です。

ところが、教育実習で付属中学へ行くことになり、
可視的な「異議申し立ての相手」が現れたのです。
そこで、それまでの教育に対する疑問が一気に噴き出し、
それが波紋を呼ぶことになったのです。(つづく)

(*1)
中核・革マル・新左翼:共産党や社会党などの左翼政党を
「戦わない左翼」として批判し、
より急進的な革命を志向し直接行動に訴えた
主に大学生・大学院生・成年労働者から構成された勢力。
分裂を繰り返し、様々な派閥が形成された。

(*2)
民青:日本共産党系の青年組織、日本民主青年同盟の略。

(*3)
三里塚:千葉県成田市の農村地区名。
周辺で行われた成田国際空港建設に反対する逃走を
三里塚闘争と呼んだ。

(*4)
トマホーク:米国で開発された巡航ミサイル。
1983年からNATO諸国に配備されたので、
「トマホーク反対」は米国の在り方を批判するテーマの一つだった。

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