父の手:自転車

私が小学生だった1970年代も自転車は子どもの必需品でしたが、
誰でも新車を買ってもらえるほど豊かな時代ではありませんでした。

あれは小学2年生の頃だったでしょうか。
ある日の夕方、父親が2台の自転車を引きながら
家に帰ってきました。
1台は大人用の自転車、
1台は見事に茶色にさびた自転車でした。
どこかで中古品を入手してきたのです。

大人用は3学年上の兄のため、
さびた方は私のための自転車でした。
「いやだ」とは口に出しませんでしたが、
正直、茶色にさびた自転車にはがっかりしました。

しかし、父親はそれから何日もかけてその自転車を分解し、
部品を一つ一つ丁寧に磨いてサビを取り、
赤と青でペイントしてくれたのです。
その作業をずっと眺めていましたが、
古びた自転車がみるみるカッコ良い自転車に変身していく
様子をみて、父親は手品師ではないかと驚愕したものでした。

2つと無いそのオリジナル自転車を私は大変気に入っていました。
仮面ライダーごっこで随分と酷使しましたが、
十分に私の期待に応えてくれました。

このできごとは、私にいろいろなことを教えてくれました。
「お金が無くても知恵を出すという方法があること」、
「他人の所有している物を羨んだりせず
自分の物を大切にすべきこと」、
「新しい物や値段の高い物が必ずしも
高い価値を持っているものでは無いということ」、
「愛情が込められた品物は大変嬉しいということ」などです。
父親にどこまで教育的意図があったかは不明ですが、
新車を購入してもらうよりも
私の人生にとって得るものが大きかったと思います。

その後、我が家は別の町に引っ越しました。
新しい町でもオリジナル自転車は
活躍するはずだったのですが、何と・・・。
父親は2台の自転車をトラックに積み忘れてしまったのです。
兄弟は新天地で新しい自転車を買ってもらうことになったので、
父親の愛情のこもったオリジナル自転車は
私の思い出の中だけで永遠に走り続けることになりました。

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