学生:本の山

秋風が冬の匂いを運んで来る季節になって参りました。
冬の気配が心臓の裏側にチクリとささる今日この頃、
皆様はいかがお過ごしでしょうか。

私は最近、秋はなぜこんなに切ないのか、
物思いに耽けることが多くなりました。

今までは、個人的に夏が大好きということもあり、
大好きな季節との暫しの別れに切なくなるのだろうと
勝手に解釈していたのですが、
秋ってその存在自体が儚いんじゃないのかと思ったわけです。
そもそも秋という季節は短い。
少なくとも「秋」らしい「秋」を感じる期間が
とても短い感じがするんですよね。

しかも、秋の感じ方って「夏の終わり」や「冬の始まり」など、
前後の季節を実感する為の媒体となる場合が多いんです。
紅葉など「秋」を感じさせるものは存在するんですが、
紅葉も「いずれ散る」という栄華を誇る一時を終えて、
ある種の「終わりに向かう儚さ」を感じさせるものが
殊更(ことさら)多いんですね。
そんな風に考えると、秋の存在がとても愛おしいものに
感じられてしまって、いつも気づいたら朝になっています。
はい。ちゃっかり寝てますね。
という訳で皆さんにとっての「秋」とはどんな季節か
お聞かせ願えたら嬉しいです。

さて、前置きはいつも以上に長くなってきましたが、
本題は「秋」の話ではございません。
今日はタイトル通り「なぜ色々な科目を学ぶのか」
という問いを掲げて、皆様に考えてみて欲しいと思います。

近年、教育現場では「個性の尊重」や「オリジナリティの育成」が
声高に叫ばれています。

そうだとすれば、子どもたちが「得意な科目」や
「好きな科目」だけ伸ばして、その能力や興味に応じて、
「好きな職業」を選択する仕組みにすれば、
より都合が良さそうです。
しかしながら、義務教育では全員に同じ様に
多種多様な科目に触れさせ、
学習する機会を半ば強制的に与えているのが現状です。

はたして本当にこの様な教育が必要なのか、
という声も少なくありません。

是非は分かれると思いますが、
私は現在の義務教育が採用している
「様々な科目に触れさせる」といった教育には大賛成です。
僕は生徒に「好きな科目だけ勉強するんじゃダメですか?」
と聞かれたら、必ず「ダメじゃないけど、損するよ」
と伝えています。
さて、今回は改めてこの問いを掲げて筆を置きたいと思います。

「なぜ色々な科目を学ぶのでしょうか?」

次回、僕なりに1つの答えを述べたいと思います。

それでは明日も良い1日を!

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