ピアノを弾く少女

思い返してみれば、私がピアノを始めてからずっと、
先生たちに「正確に」という言葉を言われてきました。

「音は間違えずに正確に」
「速度は表示通りメトロノームを使って正確に」
「強弱は書いてあるとおり、正確に」

あまりの「正確に」の嵐で、
一時期ピアノって死ぬほど苦しいな。
なんて思っていた時期もあります。

確かに、「正確に」弾くことはとても大切です。

せっかく作曲家が命を注いで作った曲ですから、
音は間違えない方がいいし、速度も強弱も、
なるべく作曲家の意向に近づけたほうがいい。
音大やコンクールを目指すなら尚更です。

でもそれって、「表現してる」ではなく、
「再現してる」だけですよね。
日本でそのことを教えてくれる先生が
中々居ないのが現実です。

私は、大学1年生の時に受けたレッスンをきっかけに、
外国の音楽講習会や、あちらの先生が日本に来て行う
マスタークラス等によく参加するようになりました。
そこで一番私が感じたのは、「弾く」事の考え方の違いでした。
日本だと、まず「テクニック」が第一で、
「テクニックを身につけた先に表現」があるのですが、
あちらはまず、「表現」が先で、
「表現したいから、その表現のために
テクニックを身につける」んです。

そもそもの認識が正反対ですよね。
日本では「ここ、弾けてないから部分練習して
音を綺麗に揃えなさい」って言われてたものも、
あちらの先生のレッスンを受けると、
「ここをこういう風に弾きたいなら、
もっと真珠の首飾りの様に弾く必要があるね。
その為に君は何をする?」という言い方をされます。
そのほうが弾いているこちらも想像力が働くし、
よく考える分、豊かな音楽を奏でられるようになるんです。

もちろん、テクニックは大切ですよ。
テクニックがなければ弾きたいものも弾けませんから。

ただ、「表現」と「テクニック」、
どちらから音楽に取り組んでいくかという導入の段階で、
音楽が楽しくなるか、ただ弾こうとするミッションになるかが
決まってしまうなら、楽しくなる方を選択したほうが
良いと思いませんか?

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