公園で遊ぶ女の子

私は割と早い段階で
音楽の道に進むことを決めました。
ですから、今まで私が師事した先生方は
「それに必要な能力を身に付けるため」の
レッスンをしてくれていました。

私生活では、
多くを犠牲にしなければなりませんでした。
友達と放課後に遊んだ記憶はほとんどありません。
遠足に参加できない事もあったし、
部活動もできませんでした。
青春の全てを捧げ、
ピアノ中心の生活を送っていました。

しかし、そんな私に当時の恩師は言いました。
「勉強もスポーツも、ピアノと一緒に楽しみなさい。
きちんと両立させなさい。
もしピアノのせいで勉強ができない。とか、
その逆になるようだったら、ピアノはやめなさい。
今のようにピアノだけしか拠り所がないまま生きていくと、
貴方はピアノを失ったとき、何もできなくなる。」

私はハッとしました。
自分が演奏だけで食べていく、
いわゆるプロピアニストにはなれないということは、
早いうちから気がついていましたし、
社会性を身につける必要性は感じていたからです。

「でも、もし両立ができたら
あなたは人生において大きなものを得られる。
いくらピアノが弾けてもダメ。
大切なのは、あなたがピアノを通して
人としてどう生きていくかということ」と。

それから私はピアノ以外のことも、
なるべく楽しむようにしました。
もちろん、生活の基盤、優先順位はピアノであることに
変わりはありませんでしたけどね。

でも、今になって思うんです。
多くを犠牲にしたことで
我慢ができるようになりました。
厳しいレッスンに耐えたことにより
打たれ強くなりました。

素晴らしい音楽に触れ続けていたことにより
想像力を持って生活できるようになりました。
そうすると人の気持ちを考えられるようになります。
音楽は全てに繋がっていると気付き、
たくさんの本を読む様になりました。

そして何より、ひとつのことを
生涯を通して貫き通す事が、
私の人生の自信に繋がりました。

たったひとつの楽器に触れていただけで
こんなに沢山のものを得ることができました。

全ては私が、教育者に恵まれていたからです。

 

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